家具・装備品出荷額等(建具を含む)
1位
全国

大川市 家具製造業86社
1位
全国

大川市 木材加工業108社
1位
全国

大川市 製材所7社
1位
全国

九州大川周辺で作られる国産家具と国産雑貨のインテリアショップ
大川家具って?
FUKUOKA|OKAWA
国内には、北から旭川、静岡、飛騨、徳島、大川という家具の5大産地があります。その中でも企業数、生産量ともに圧倒的に多いのが福岡県大川市とその周辺で生産されている大川家具です。
関東の方であれば、埼玉を中心としたチェーン店であるOh!kawa家具を連想されるかもしれませんが、小売店舗の名称であり、大川家具ではありません。ただ、大川は国内最大の家具産地でありながら、これまで地域ブランディングが遅れていたこともあり、旭川や飛騨に比べて全国的な知名度が低いことも事実です。
しかし、インテリアショップや大手家具店でも大川家具はたくさん取り扱われているので、実はお使いの家具が大川で作られたものだったということも少なくありません。
国内には、北から旭川、静岡、飛騨、徳島、大川という家具の5大産地があります。その中でも企業数、生産量ともに圧倒的に多いのが福岡県大川市とその周辺で生産されている大川家具です。
関東の方であれば、埼玉を中心としたチェーン店であるOh!kawa家具を連想されるかもしれませんが、小売店舗の名称であり、大川家具ではありません。ただ、大川は国内最大の家具産地でありながら、これまで地域ブランディングが遅れていたこともあり、旭川や飛騨に比べて全国的な知名度が低いことも事実です。
しかし、インテリアショップや大手家具店でも大川家具はたくさん取り扱われているので、実はお使いの家具が大川で作られたものだったということも少なくありません。
福岡県大川市は福岡県南部にあり、九州一の大河である筑後川が有明海へ流れ込む河口付近にあり、周囲を久留米市、川下りで有名な柳川市、筑後川を挟んで佐賀県佐賀市に隣接しています。
筑紫平野の真ん中なので穀倉地帯でもあり、春は麦、秋は稲が実る美しい風景に包まれます。また、あまおうなどの苺や、有明海苔など、農業、漁業もとても盛んな街です。
有名人では、昭和の大作曲家であり国民栄誉賞の古賀政男氏。ベストテンという番組で歌い終わってタンスを担いでた大川栄策氏やケンミンショーで福岡県出身の代表格である陣内孝則氏、ミュージカル俳優の岡幸二郎氏、KABA.ちゃん、「のだめカンタービレ」ののだめも大川出身です。最終回では千秋先輩が大川まで追いかけてきますね!
福岡県大川市は決して規模の大きな町ではありませんが、その中に多数の製材所、木材加工業者、私たちのような家具メーカーが多数存在する九州だけではなく日本の木工に関するモノづくりの一大拠点といっても過言ではない街です。その中でも特に家具は日本一の産地とも呼べるほどの出荷量を誇っています。特に箱ものと呼ばれるタンス類は大川の発展を支えた商材で、大川市を含む福岡県の出荷量は日本全体の約1/5を占めます。
\ ちなみに福岡市の人口は大川市の約48倍!/
福岡市人口
1,602,927人2020年8月1日現在
福岡市人口 1,602,927人 / 2020年8月1日現在
家具・装備品出荷額等(建具を含む)
1位
大川市 家具製造業86社
1位
大川市 木材加工業108社
1位
大川市 製材所7社
1位
家具・装備品出荷額等(建具を含む)
大川市 家具製造業86社
大川市 木材加工業108社
大川市 製材所7社
大川家具の歴史は、室町時代後期の480年前まで遡ります。大川は筑後川の河口に位置し、木材の集積地でありました。そのため船大工の技術があり、そこに大川家具の開祖と呼ばれる榎津久米之介が京都で発展していた指物を製作を始めたことが大川家具の起こりとされます。
明治22年(1889)、町村合併によって大川町が誕生し、町全体の四分の一を「木工関係者」が占めるほど職人のまちになっていました。大正時代には、鉄道などによる輸送手段ができたことで販路が広がっていき、戦後、国より「重要木工集団地」としての指定を受けました。
昭和30年には工業デザイナー河内諒のデザインによる「引き手なしタンス」が西日本物産展で最高賞を取り、大川調デザインとして全国に知られるようになりました。
また、全国に先駆け機械化を進めたことで生産性が上がり、日本一の家具産地として成長。現在大川で開催されているバイヤー向けの展示会には、大川のメーカーだけでなく全国のメーカーが出展しており、バイヤーも全国から来場する国内最大の家具展示会となっています。
大川家具の歴史は、室町時代後期の480年前まで遡ります。大川は筑後川の河口に位置し、木材の集積地でありました。そのため船大工の技術があり、そこに大川家具の開祖と呼ばれる榎津久米之介が京都で発展していた指物を製作を始めたことが大川家具の起こりとされます。
明治22年(1889)、町村合併によって大川町が誕生し、町全体の四分の一を「木工関係者」が占めるほど職人のまちになっていました。大正時代には、鉄道などによる輸送手段ができたことで販路が広がっていき、戦後、国より「重要木工集団地」としての指定を受けました。
昭和30年には工業デザイナー河内諒のデザインによる「引き手なしタンス」が西日本物産展で最高賞を取り、大川調デザインとして全国に知られるようになりました。
また、全国に先駆け機械化を進めたことで生産性が上がり、日本一の家具産地として成長。現在大川で開催されているバイヤー向けの展示会には、大川のメーカーだけでなく全国のメーカーが出展しており、バイヤーも全国から来場する国内最大の家具展示会となっています。